溶岩ドームと火砕流でできた山:恵山火山
恵山水無火口と弘化三年(1846年)の山崩れ
恵山には悲惨な災害の歴史がある.江戸時代の末,弘化三年七月晦日(旧暦,一説には九月晦日)のことである.恵山のふもとの村々には夕刻から降り出した大雨は途切れることなく降り続いていた.深夜になり,地震とともに山は鳴動を始め,やがて恵山ドームの東側山体の一部が爆発・崩壊した.崩壊は椴法華村(現在の元村)を襲い,41戸のうち38戸を破壊,25名の生命を奪った.それと前後するように古武井など南側の山麓の漁村にも,背後の山から土石流が襲い,村を破壊し,船を押し流した.これらによる被害はあわせて死者53名負傷者36名にものぼる.北海道最大の斜面災害のひとつである.
現在,恵山岬から恵山を見上げると,水無沢の最上流に山が裂けたような形の水蒸気をあげる爆裂火口(水無火口)がみえる.これが弘化三年の崩れ跡と考えられており,ホテル周辺から恵山登山口へ向かう散策道の周辺には,岩屑なだれ・土石流による岩塊の小山(流れ山)や 複数の堤防状の高まり(側方リッジ)などの堆積地形が残されている.
所在地
函館市 椴法華区恵山区
参考文献
参考文献:未入力
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