東洋一の水銀鉱山
北見留辺蘂 旧イトムカ鉱山
石北峠を下りきって北見に向かう国道39号線沿いの左手に整備された小さな広場があり,記念碑が建っている.この記念碑はここが「日本最大」・「東洋一」の水銀鉱山ともよばれたイトムカ鉱山であったことを記している.イトムカ鉱床は昭和11年に発見され,昭和14年から野村鉱業(初年度はヤマト鉱業)が採掘していた.
イトムカ鉱床周辺の地質は,日高累層群の粘板岩類を基盤として,中新世・鮮新世・第四紀堆積物が累重している.鉱床は変質した安山岩類中に,石英や方解石を脈石とする脈状〜塊状の水銀鉱体が発達していた.採取した鉱石は自然水銀と辰砂で,自然水銀の産出割合が高いことが特徴であった.安価な海外産に押され,また水俣病がきっかけとなり,水銀の需要が落ち込んだことから1974年に終山した.なお野村興産が閉山直後から水銀含有廃棄物(電池・蛍光灯)の処理事業を開始し,現在も継続している.
鉱山が活況になれば人は増え,衰退すれば人は去る.イトムカ鉱山に関わりながら生活した方々の文集「思い出のイトムカ(2008)」には,文集という性格上,断片的ではあるが,当時の鉱山町における厳しくもかつ楽しみのある人々の生活が綴られている.道内北見市・網走市・札幌市などの図書館に配架されているので,ぜひご一読いただきたいと思う.
所在地
北見市 留辺蘂区イトムカ
リンク
参考文献
北海道開発庁(1960)5万分の1地質図幅「石狩岳(網走-55)」および同説明書.43p.
矢島 澄策(1950)北海道の水銀鉱床.北海道地下資源資料(北海道地下資源調査所),no. ,5,1-78.
斎藤 正雄・番場 猛夫・沢 俊明・成田 英吉・五十嵐 昭明・山田 敬一・佐藤 博之(1967)北海道金属非金属鉱床総覧.地質調査所,575p.
イトムカ水銀鉱山閉山40周年記念文集編集委員会編(2008)「思い出のイトムカ」329p.
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