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北海道の黒鉱鉱床

赤井川 旧明治鉱山

旧明治鉱山跡.強い粘土化変質作用を受けた地肌が今も露出する.【写真: 垣原康之】

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明治鉱山は余市川と白井川の合流部から白井川を約3km遡った右岸にあった.倶知安に抜ける国道393号から,今も樹木が生えない黄色い露天採掘跡がみられる.安全のため,また周辺は私有地であることから国道からの遠望で,当時の鉱山開発の活況に想いを馳せてみよう.

本鉱山の発見は明治10年頃とされる.明治23年三井物産(株)が試掘を行い,明治39年に,田中平八・銀之助両氏の所管となり,精力的な探鉱が実施される.大正2年,田中鉱業(株)を設立,水銀鉱床の発見,本坑・金山沢坑の採掘が始まる.大正6年には露天採掘が行われるなど,昭和2年まで約10万トンの粗鉱が出鉱された.戦中に本坑の下部で良質の鉱体が発見されたが,その後の銅価格の下落,坑内の粘土の押し出しにより採鉱には至らなかった.

明治鉱床は産状や産出鉱物等から黒鉱鉱床と考えられている.金山沢坑は黒鉱上部の層状鉱体,本坑および一坑は下部の網状鉱体である.また隣接する水銀鉱床は南方の浅熱水鉱床である轟鉱床と関係が指摘されている.両鉱床の形成年代として,それぞれ12.1Maおよび2.1MaのK-Ar年代が報告されており(松枝・雨宮,2003),形成時期の異なる鉱床が同じ地区に重複している.

新第三紀中新世頃は西南北海道周辺は地質構造的に東北日本に属すると考えられており,この証拠の一つが,この明治の黒鉱鉱床の存在である.

【執筆者:垣原康之】

所在地

赤井川村 明治

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赤井川村

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参考文献

赤井川村教育委員会 編 (2004) 赤井川村史.1221p.
北海道開発庁(1963)轟鉱山の金・銀鉱床,明治鉱山の銅・鉛・亜鉛鉱床および水銀鉱床.北海道地下資源調査資料,no. 87,1-42.
斎藤 正雄,番場 猛夫,沢 俊明,成田 英吉,五十嵐 昭明,山田 敬一,佐藤 博之 (1967) 北海道金属非金属鉱床総覧. 地質調査所, 575p.
松枝 大冶,雨宮 浩樹 (2003) 西南北海道,赤井川町明治黒鉱及び水銀鉱床産鉱石・母岩化学組成とK-Ar年代測定結果. 平成14年度 広域地質構造調査報告書 北海道南部地域(経済産業省 資源エネルギー庁), 71-85.

 

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